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2018.12.17

バナナ号:映画撮影用に、24年前にあった車いすを再現。

機種EMC-210 今仙技研
お客様からのご要望映画撮影用電動車いすを作ってほしい。24年くらい前にあった感じで。
お客様の感想撮影終了までいい子で、トラブル無く動いてくれました。

バナナ号製作編

今回は映画『こんな夜更けにバナナかよ』の小道具として依頼を受けた、通称“バナナ号”の製作記です。

試写や宣伝が始まり、いよいよ公開が間近に迫りました。

まだ予告編しか見ていないのですが、公開がとても楽しみです。

【前田哲監督のコメント】※一部抜粋

明るいところではとても見えにくい小さな光は、

暗闇では輝いて見えて、希望と勇気を与えてくれる。

私にとって、渡辺一史著『こんな夜更けにバナナかよ』との出会いは、まさにそうでした。

多様性とマイノリティーが危機に瀕している暗闇のような混迷する現在にこそ、必要な物語です。

今まで見たこともない生き様をスクリーンに蘇らせ、

「生きる力に溢れた希望の映画」として、多くの人々の心を灯したいと強く思っています。

電動車いすの製作について

車いす工房輪で、主人公の鹿野さんが乗る電動車いすを準備させていただきました。

どの様な経緯でつくる事になったのか、よく聞かれます。

古くからのユーザーさんが松竹から相談を受けた際、工房輪を紹介してくださいました。

公私ともに散々お世話になっているユーザーさんです。 この方の紹介で、と言われると、どんな仕事も引き受けざるを得ない事情があります。

当時の鹿野さんの写真を何枚か見せて頂き、助監督・美術さんと打ち合わせ。

まずは、古いタイプの電動車いすを探すところから始めました。

映画の舞台になったのは1994年。 その時代の車いすを、四方八方手を回して探しました。

ですが。 さすがに24年前の車いすを探し出すことは出来ませんでした。

やむを得ず、似たタイプを入手することに。

こちら。 鮮やかなグリーンですね。

ここから、監督の意向に沿ってリメイクしていきます。

さらに、映画のシーンごとで使う小道具も必要です 。

車いす用テーブル、人工呼吸器台。こちらは1から作ります。

衣装合わせのために向かったスタジオでは、主役鹿野役の大泉洋さんと初体面。

採寸担当と称して4人でぞろぞろと参加。

身体の採寸をさせて頂き、電動車いすの操作方法などをお伝えしました。

スタッフさんや関係者の方が大勢居る緊迫した空気。

大泉さんに、 「今度は電動車いすに乗って北海道に行ってください!」 と軽く冗談を言ってみたら、見事にスルーされました。(笑)

役作りに真剣な方でした。

さて。

仕様を決めてから本格的に製作開始です。

色を塗り替えるので、全部バラバラにします。

工房で普段お願いしている塗装屋さんは3か所あります。

ですが、今回は前田監督の意向を忠実に再現したかったので、特別に。

自動車板金工場にカラーチャートを持参して、塗装していただきました。

色は前田監督こだわりのアイボリーです。

当時このような色の車いすは無かった気がしますが… そこは雰囲気で♪

一つ一つ慎重に組付けていきます。

貼ってあった注意ラベルなども、リアリティを出すために貼りなおします。

塗装面に傷が付かないように、丁寧にマスキングテープで覆いながらの作業です。

偶然ですが、この色の組み合わせは…

まさにバナナですね!

バナナの皮と身の感じが出ています。

カバー類も再縫製します。昔よく使われたであろう布地を採用。

網だった側板も外して、木で作り直します。

実際は木の側板なんて珍しいのですが、ここも監督のこだわり。 雰囲気優先で。

一番困ったのがバッテリー。

今は電動車いす用の液体バッテリーなんて売っていないのです。

液体バッテリーはケースが乳白色なのですが、 今主流のシールドバッテリーは黒か灰色。

ユーザーさんに製作途中のバナナ号を見てもらった際も、「バッテリーが黒い!」と指摘されてしまいました。

…やっぱり! ここは特に頼まれていないのですが、車いすをよく知る立場としてはこだわりたいところ。

ちょっとインチキですが、乳白色の軟質ポリエチレンで覆いを作りました。

遠目では、昔懐かしい液体バッテリーそのもの! きっと誰も見破れないはず。

ちょっとレトロで可愛い車いすの完成です。

では、いよいよ本人が乗った車いすの写真を!!

はい。 浅見でした…。

どうしてもなりきりたかったんです。

大泉さんでなくて、ごめんなさい。

撮影終了後、「最後までいい子で動いてくれました!」と言われて一安心。

ほっとしました。

何せ、オール北海道ロケ。

素性がよくわからない中古の車いすがベースでしたので、 整備点検したとはいえ、撮影の途中で壊れないか正直ドキドキでした。

映画に関われたのはほんの僅かですが、 貴重な体験をさせて頂きました。

ありがとうございます。


現在の八雲病院と、北海道の業者様の指導で製作した電動車いすです。
24年前の車椅子に比べて、進化しました。
ちょうど同時期に、同じ病院に通う方の電動車いす製作の仕事をするという、不思議な巡りあわせ。
実際に鹿野さんと話したことがある方や、当時の北海道の車いす事情を知る方に話を聞くことが出来、バナナ号製作の参考にさせて頂きました。


バナナ号製作を振り返って。

「こんな夜更けにバナナかよ」原作本を読みました。
鹿野さんは12歳(1972年)で北海道の八雲病院に入所しています。
「わがまま、おしゃべり、自由すぎ」になった少年時代のトラウマの原点です。

原作本には
- 鹿野は、そこでおびただしい“死”と出会った。
八雲病院での体験は
- 「どんなことをしても生きたい。生きたいんだ。」という、生への執着である。
とあります。

現在の八雲病院は、本に描かれている“思い出したくない”“収容所”のような施設とは違い、明るく活気に満ちています。姿勢に関しても先駆的な取り組みがなされています。

(そのことは、版を重ねた2013年に加筆されています。)

しかし映画の舞台となったのは1994年頃。

姿勢に関する対応はされておらず、既製品にそのまま乗っていたと、当時を知る先生から話を聞きました。時代背景を再現するため、今回のバナナ号は“身体を合わせる”電動車いすを製作しました。
現代では“身体に合わせる”電動車いすを提供することが一般的。

今の時代に生きる34歳の筋ジストロフィー患者は、まず乗ることのない電動車いすです。

電動車いすは、ただの移動手段に過ぎなかった時代。
街にはバリアがあって、バスにも乗れなかった時代。
無資格でも介助出来て、ボランティアになんとか命を繋がれて、生きること自体が大変な時代。

鹿野さんはそれでも“自分らしく”“わがままに”生きた。生きることで体現したのだと思います。
もし、彼が現代に迷い込んだら何を思うか。
きっと、私たちに生きる意味を思い出させてくれるのでしょう。
今から映画を観るのが楽しみです。

浅見

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