バナナ号:映画撮影用に、24年前にあった車いすを再現。

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車種 EMC-210
今仙技研
お客様からのご要望映画撮影用電動車いすを作ってほしい。24年くらい前にあった感じで。
お客様の声 撮影終了までいい子で、トラブル無く動いてくれました。

- バナナ号製作編 -

今回は映画『こんな夜更けにバナナかよ』の小道具として依頼を受けた、通称“バナナ号”の製作記です。

試写や宣伝が始まり、いよいよ公開が間近に迫りました。

まだ予告編しか見ていないのですが、公開がとても楽しみです。

【前田哲監督のコメント】※一部抜粋

 明るいところではとても見えにくい小さな光は、

 暗闇では輝いて見えて、希望と勇気を与えてくれる。

 私にとって、渡辺一史著『こんな夜更けにバナナかよ』との出会いは、まさにそうでした。

 多様性とマイノリティーが危機に瀕している暗闇のような混迷する現在にこそ、必要な物語です。

 今まで見たこともない生き様をスクリーンに蘇らせ、

 「生きる力に溢れた希望の映画」として、多くの人々の心を灯したいと強く思っています。

車いす工房輪で、主人公の鹿野さんが乗る電動車いすを準備させていただきました。

どの様な経緯でつくる事になったのか、よく聞かれます。

古くからのユーザーさんが松竹から相談を受けた際、工房輪を紹介してくださいました。

公私ともに散々お世話になっているユーザーさんです。 この方の紹介で、と言われると、どんな仕事も引き受けざるを得ない事情があります。

当時の鹿野さんの写真を何枚か見せて頂き、助監督・美術さんと打ち合わせ。

まずは、古いタイプの電動車いすを探すところから始めました。

映画の舞台になったのは1994年。 その時代の車いすを、四方八方手を回して探しました。

ですが。 さすがに24年前の車いすを探し出すことは出来ませんでした。

やむを得ず、似たタイプを入手することに。

こちら。 鮮やかなグリーンですね。

ここから、監督の意向に沿ってリメイクしていきます。

さらに、映画のシーンごとで使う小道具も必要です 。

車いす用テーブル、人工呼吸器台。こちらは1から作ります。

衣装合わせのために向かったスタジオでは、主役鹿野役の大泉洋さんと初体面。

採寸担当と称して4人でぞろぞろと参加。

身体の採寸をさせて頂き、電動車いすの操作方法などをお伝えしました。

スタッフさんや関係者の方が大勢居る緊迫した空気。

大泉さんに、 「今度は電動車いすに乗って北海道に行ってください!」 と軽く冗談を言ってみたら、見事にスルーされました。(笑)

役作りに真剣な方でした。

さて。

仕様を決めてから本格的に製作開始です。

色を塗り替えるので、全部バラバラにします。

工房で普段お願いしている塗装屋さんは3か所あります。

ですが、今回は前田監督の意向を忠実に再現したかったので、特別に。

自動車板金工場にカラーチャートを持参して、塗装していただきました。

色は前田監督こだわりのアイボリーです。

当時このような色の車いすは無かった気がしますが… そこは雰囲気で♪

一つ一つ慎重に組付けていきます。

貼ってあった注意ラベルなども、リアリティを出すために貼りなおします。

塗装面に傷が付かないように、丁寧にマスキングテープで覆いながらの作業です。

偶然ですが、この色の組み合わせは…

まさにバナナですね!

バナナの皮と身の感じが出ています。

カバー類も再縫製します。昔よく使われたであろう布地を採用。

網だった側板も外して、木で作り直します。

実際は木の側板なんて珍しいのですが、ここも監督のこだわり。 雰囲気優先で。

一番困ったのがバッテリー。

今は電動車いす用の液体バッテリーなんて売っていないのです。

液体バッテリーはケースが乳白色なのですが、 今主流のシールドバッテリーは黒か灰色。

ユーザーさんに製作途中のバナナ号を見てもらった際も、「バッテリーが黒い!」と指摘されてしまいました。

…やっぱり! ここは特に頼まれていないのですが、車いすをよく知る立場としてはこだわりたいところ。

ちょっとインチキですが、乳白色の軟質ポリエチレンで覆いを作りました。

遠目では、昔懐かしい液体バッテリーそのもの! きっと誰も見破れないはず。

ちょっとレトロで可愛い車いすの完成です。

では、いよいよ本人が乗った車いすの写真を!!

はい。 浅見でした…。

どうしてもなりきりたかったんです。

大泉さんでなくて、ごめんなさい。

撮影終了後、「最後までいい子で動いてくれました!」と言われて一安心。

ほっとしました。

何せ、オール北海道ロケ。

素性がよくわからない中古の車いすがベースでしたので、 整備点検したとはいえ、撮影の途中で壊れないか正直ドキドキでした。

映画に関われたのはほんの僅かですが、 貴重な体験をさせて頂きました。

ありがとうございます。

現在の八雲病院と、北海道の業者様の指導で製作した電動車いす。

24年前の車椅子に比べて、進化しました。

ちょうど同時期に、同じ病院に通う方の電動車いす製作の仕事をするという、不思議な巡りあわせ。

実際に鹿野さんと話したことがある方や、当時の北海道の車いす事情を知る方に話を聞くことが出来、

バナナ号製作の参考にさせて頂きました。

バナナ号製作を振り返って。

「こんな夜更けにバナナかよ」原作本を読みました。

鹿野さんは12歳(1972年)で北海道の八雲病院に入所しています。

「わがまま、おしゃべり、自由すぎ」になった少年時代のトラウマの原点です。

バナナ号の引き渡し日は、偶然にも浅見が八雲病院への出張から戻った翌日でした。

原作本には

- 鹿野は、そこでおびただしい“死”と出会った。

八雲病院での体験は

- 「どんなことをしても生きたい。生きたいんだ。」という、生への執着である。

とあります。

現在の八雲病院は、

本に描かれている“思い出したくない”“収容所”のような施設とは違い、明るく活気に満ちています。

姿勢に関しても先駆的な取り組みがなされています。

(そのことは、版を重ねた2013年に加筆されています。)

しかし映画の舞台となったのは1994年頃。

姿勢に関する対応はされておらず、既製品にそのまま乗っていたと、当時を知る先生から話を聞きました。

時代背景を再現するため、今回のバナナ号は“身体を合わせる”電動車いすを製作しました。

現代では“身体に合わせる”電動車いすを提供することが一般的。

今の時代に生きる34歳の筋ジストロフィー患者は、まず乗ることのない電動車いすです。

電動車いすは、ただの移動手段に過ぎなかった時代。

街にはバリアがあって、バスにも乗れなかった時代。

無資格でも介助出来て、ボランティアになんとか命を繋がれて、生きること自体が大変な時代。

鹿野さんはそれでも“自分らしく”“わがままに”生きた。

生きることで体現したのだと思います。

もし、彼が現代に迷い込んだら何を思うか。

きっと、私たちに生きる意味を思い出させてくれるのでしょう。

今から映画を観るのが楽しみです。

浅見

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