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2019.11.13

導かれて、車いす屋になった話。

タグ:トータルサポートたいとう,求人,自立生活センターたいとう

導かれて、車いす屋になった話。

20年前に私をこの業界に導いてくれた方からメールを頂き、会いに行ってきました。

NPO法人トータルサポートたいとうの理事長 鶴岡和代さん

トータルサポートたいとうは、台東区で障がい者のヘルパー派遣事業所を運営しているNPO法人です。

当時は「自立生活センターたいとう」という名称だったと思います。20年前、短い期間ですが、ここに登録してヘルパーをしていました。

当時、三ノ輪駅を利用するため、電動車いすに乗った利用者の方ごと人力で持ち上げて、地下鉄に続く細い階段を降りていました。

私と駅員5人の6人がかりです。毎回、危なかったです。今では考えられない状況でした。

ヘルパー制度ができる前、街はバリアフルでしたが、なんとか人を巻き込みながら生活をしていた時代でした。

ヘルパーとして働きしばらくした頃、「バイクが好きで、前職では機械の仕事をしていた」と話すと鶴岡さんは
「あなたには、車いす屋が向いてる」と以前働いたさいとう工房に話を通してくださり、そのまま就職しました。

それが私がこの仕事に就いたきっかけです。以来19年、車いす屋をやっています。

ヘルパーを辞め、立場を変えて今度は車いす屋として、
鶴岡さんの車いすを担当させて頂きました。

鶴岡さんは足で運転する車いすに乗っていました。
身体機能の低下で、電動車いすを自分で運転するのは難しいのではないか?と周囲の支援者が考えた時がありました。
少しでも動ける時は自分で運転したいと、自走の電動車いすを作ることを決断され、その勢いに周囲も押され、電動車いすを製作したことがありました。
それが鶴岡さんの生き方だったのだと思います。

ヘルパー、車いす屋、2つの立場から多くを教わりました。

ご本人は人工呼吸器、胃ろうと体は重症化していますが、気持ちは変わらず再会を喜んでくれました。
電気式人工喉頭で昔の話もしてくれました。

この日は十数年ぶりの再会でしたが、改めて心からの感謝をお伝えました。

また、当時からのスタッフ、利用者の方とも久しぶりの再会を果たし、懐かしい時間を過ごしました。

トータルサポートたいとうへ向かう途中、毎回利用者と使っていた三ノ輪駅には、当たり前のようにエレベーターがついていました。当時いくら抗議してもエレベーターは付けない、付かないの一点張りだったと記憶しています。

もしかしたら、諦めないみなさんの生き方がエレベーターを付けたのかもしれません。

こういう人に育てて頂いて、今日の私があります。